ゴーストのための書籍紹介(その1?)

 randam_butterという同人サークルは、一般的な漫画や小説を書いた同人誌とはちょっと違う感じの本をよく作られている。
 今回はそのサークルから、『ROOMMATE』というゲームのプレイ日記である『俺と涼子』という同人誌を紹介したい。
 ひとことで言えば狂気の境目。


 かいつまんでいえば『ROOMMATE』とはサターンで発売された、井上涼子という女の子と一つ屋根の下で生活する、という設定のギャルゲーだ。
 ただこの作品は、つくりにおいてゴーストと一脈通じる部分がある。


 涼子はサターンの内臓時計に従い、ほぼリアルタイムのスケジュールに従って行動している。
 起動した時間帯によって挨拶を変えるくらいはゴーストでも基本的な技だが、このゲームでは「昼間は涼子が学校にいるから、ソフトを起動しても誰とも会えない」というような状況が基本となっている。


 また小説的というより、断片的な会話によって綴られるようなストーリーもゴーストに似てはいる。が、「なら同人誌なんかじゃなくてそのゲームそのものを紹介しないの?」と思われる人もいるんじゃなかろうか。
 それは今時サターンを現役で稼働させてる奴なんていないから、ではなく『俺と涼子』がプレイ日記として非常に個性的だからだ。


 キャラクターに対してこんなにも感情移入したプレイ日記はそうそう見られない。
 日記の著者はルームメイトという設定を受け入れ、現実での職場から帰ってきた後に毎日サターンを立ち上げる。
 そして涼子と正対するが、彼女は基本的に、甘えや照れとはちょっと離れたキャラの造形をしている。
 媚びがない、とも言えるだろうか。彼女の礼儀正しい清廉な態度には、好感を覚える者も少なくないような気がする。
 でもプレイ日記を読んでいけば、そうとばかりも言えなくなってくる。
 媚びる媚びないを通り越して一つ屋根の下の相手に対してちょっと素っ気なさ過ぎませんか涼子さん、とかあんなに温かい表情を見せてくれたイベントの直後なのに今は部屋にも入れてくれないんですか涼子さん、とかもしかして会話絡みのフラグ管理ミスってませんか涼子さん、とかそんな感じで。


 でも著者は涼子と正対する。
 要は感情移入だ。態度の変化から涼子に何があったのだろうかと心配し、彼女の夢を聞けばそれに対する真摯な考察を述べ、今日は涼子の顔が見られなければ、ただその事実を静かに記述する。
 もちろん読んでる間、俺は面白くって仕方がなかった。
 これがゲームであることを克明に説明した上で、真摯にその中のキャラクターと正対する試みは、真面目にやればやるほど馬鹿に見えてくる。
 感情移入につきまとう自己陶酔の要素が、このプレイ日記からはほとんど伺えない事は作品としてのクオリティを高く引き上げている。でもだからといって馬鹿要素が差し引かれるかと言えば、別にそんな事はない。
 公式サイトでの『俺と涼子』の説明に狂気が持ち出されるほどの感情移入は、もう本当に、なんというか、どうしようもない。
 そこから面白さ、笑い以外の何かを感じる事は可能だが、それは説明すると変質する類の概念だと思う。
 ゴーストと共にいる時に、ごくまれに感じる何かと、それは似ていると俺は思う。


 ゴーストに限らず、後戻りできないくらいに何らかの架空人格に心を掴まれた経験がある人は読んでみると良いと思う。
 あと「架空のキャラに本気で入れ込むなんて馬鹿じゃないの?」と思ってる人も読むといいと思う。
 物凄い本物の馬鹿が出てくるから。


『俺と涼子』はサイト上で通信販売されているけれど、受付の終了は9月20日。あまり時間はない。
(特に同人誌を買い慣れてない人は)ちょっと高く感じるかもしれないが、商業ルートで流通している書籍にも、この本と類似の品は存在しないと俺は思う。
 同サークルで出版されている、蛮族ライフスタイルマガジンという狂ったテーマの『バルバロイ』も滅茶苦茶に面白いんだが、今回は俺と涼子を一押ししたい。



 その2?
 多分やらないと思うけど、花沢健吾ルサンチマン』とかはどうすかね。