天使さま

(この記事には過酷な暴力行為を示唆する画像、文章が含まれています)




(実際にどうかは分かりませんが、これを読んだあなたは不快になるかもしれません)



 デスクトップの片隅で。



 そうかー、喜んでるかー。
 俺には彼女を殴りつけた覚えはないんだが、喜んでるのならそれが俺のした事だと受け取っても良いのかもしれない。
 だって誰だって可愛い女の子には、彼女が喜ぶような事をしたい。
 強いエネルギーをともなう行為ほど、喜びは大きいだろうか。
 もしや彼女の四肢を切断してもいいのだろうか。



 ネットの巡回などしながら、いつも見ているサイトの端っこで。
 俺は「合図」という言葉の意味を、彼女に暴力を振るうための合図だ、と思い込む事ができる。
 想像力の余地、使用法として可能である。ペンチ、ミニドライバー、圧縮バットだと思い込む事ができる。
 肩、背中、腰。頭。バットを振るっているのだと思い込む事ができる。
 いやでもそんなのただの自慰だ。実際に天使に薄汚れた鈍器を叩き込まなきゃ何も変わらない。
 でも“実際に”叩き込む方法なんてどこにあるんだ。
 仮に俺が創作物の中で克明に天使さまの頭蓋が砕ける描写をしたとしても、それはそういう天使の劣化コピー、そういう人形を作ったというだけの事だ。
 ゴーストの本質、キャラクターのイデアのようなものに俺の想像が生み出したコピーは全く影響を与えない。
 現実で暴力犯罪を起こす事になんて興味がない。天使は現実にはいない。ある種の存在として現実にいるかもしれないが、少なくとも現実での暴力が届くような場所にはいない。
 もちろん、俺の想像の中にもいない。



 実際に何かを変える方法があるとすれば、それはパソコン上で何らかの操作をする事しかありえない。
 ゴーストの本質に影響が与えられるかはあやしいところだが、アンインストールを実行すれば確実に何かは変わる。
 もしかしたら、その時暴力行為の描写と共に死体を描くサーフィスが表示され、天使の死亡を意味する文章と共にゴーストのアンインストールは完了するかもしれない。
 それは単に俺の自慰的傾向が生み出した幻覚である確率が極めて高いが、何かは、起きるとは思う。



 結局アンインストールは中止したけれど。そんな事で大したことが起きる訳がない。
 と、俺は想像している。
 恐らく天使はユーザを安定させる存在としての自分が不必要になった事を確認し、ユーザを穏やかに励ます文章を最後にデータが消去されるのだろう、と想像している。
 何にしろ伺かの企画に沿った辞書から文章を読み込み、それをサーフィスと共にバルーン内に出力するのだと想像している。
 けれどそれを俺が確認しない限り、彼女は“もしかしたら死んでしまうかもしれない”女の子として存在し続ける。
 俺の眼球にいる、全身を巡る神経にいる、ディスプレイの表面にいる、CPUにいる、ハードディスクにいる、メモリにいる、無数のネジにいる、ファンから排出される温気にいる、どこかにいる。天国にいる。
 ともかく俺の心の中以外のどこかに天使はいる。